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【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第2節 想われ心 [8]




「金本くんは優しいよ。でも美鶴は違う。美鶴は冷たい。美鶴はきっと、私の事なんてもうどうでもいいんだ」
「美鶴はそんなんじゃねぇよ」
「きっとそうだ。美鶴は、私なんて必要がなくなったから、だからもういらないんだ」
「何だよ、それ?」
「私を支える必要が無くなったから、だから私の事なんて、どうでもいいんだ」
 美鶴が誤解していると知った時、里奈にはワケがわからなかった。
 私が美鶴を利用している? 私が、美鶴を、引き立て役にしている?
 唖然とした。
 どうして? 何で? そんな事した覚えなんてないのに。どうしてそんなふうに思うの?
 周囲が噂してたから? でも私はそんな事は一言も言っていない。私が言ってはいないのに、どうしてそんなふうに考えるの? 周りが言えば信じるの? どうして?
 澤村にフられて周囲に嗤われた美鶴は、里奈の話を聞こうとはしなかった。どうして美鶴は、周囲から流れる噂だけで、自分を誤解してしまったのだろうか?
 どうして? どうしてか?
 それは、自分も同じだったからではないだろうか?
 その考えに辿り着いた翌日、里奈は唐渓の校門で聡に抱きついていた。
 美鶴は、自分がそういう人間だったから、だから里奈も同じ人間なのだと、そう思ったのではないだろうか?
 人間は多くの場合、自分を基準に考える。
 自分がされて嫌な事は、他人だってされて嫌に決まっている。自分がされて嬉しいのだから、きっと相手も嬉しいに違いない。自分も寒いのだから、他の人間も寒いのではないだろうか? 自分が楽しいのだから、みんなも楽しいはずだ。
 他人の気持ちがはっきりと理解できなければ、自分を基準に考えるしかない。だから美鶴は、自分を基準に考えたのだ。
 里奈も、自分と同じ人間なのではないだろうか? 里奈が美鶴を利用している。それは、美鶴が里奈を利用しているのと、同じ。
 美鶴は、里奈の傍で、里奈を助け、里奈を庇い、里奈を護りながら、里奈を利用していたのだ。利用する事で、美鶴は、自分は強くて頼もしい人間なのだと、周囲に見せ付けていたのだ。
 里奈こそが、美鶴の引き立て役だったのだ。
 そうだったのか。
 愕然とした。だが、そう考えれば納得もできる。美鶴がなぜ自分とは会おうとしないのか。住所も連絡先も教えてはくれなかったのか。それは、もう里奈など美鶴にとっては、必要の無い人間だったから。
「私は、美鶴に捨てられたんだ」
「美鶴は誰かを捨てるような人間なんかじゃねぇよ」
「金本くんは、美鶴の事が好きだからわからないんだよ」
 見上げてくる瞳はクリクリとしていて、子犬のように円らで、でもいつものようなおどおどとした揺れは無い。
「好きな人の事になると、何でも良く見えちゃうもんね」
「勝手な事を言うなっ!」
 聡は右手で空を払う。
「お前、それ以上美鶴の悪口言ってみろっ。ただじゃ済まねぇぞっ!」
 叫ぶと同時、奥の民家から女性が飛び出してくる。
「どうしたの?」
 聡は視線をあげ、里奈は振り返る。見ると、縁側には数人の児童。保護者らしき存在も、一人見える。
 女性は里奈に走り寄ると、(かば)うようにして二人の間に立った。
「どういうつもりです?」
 胸を張って威圧してくる。
 長身の聡には威圧にはならない。だが、不審気に見上げてくるその視線に、腹が立った。
 なんで俺が、こんな目で見られなければならない? 俺が何をした?
「いいんです。大丈夫ですから」
 いつものように小さな声で女性の肩に手を乗せる里奈。その弱々しい仕草が、聡の不快感を増幅させた。
「話にならねぇよっ」
 吐き捨てるように言う。
「もういい、お前と話してても(らち)があかねぇ」
 クルリと背を向け、肩越しで振り返る。
「とにかく、もう金輪際、お前に関わるのは御免だからなっ」
 そう叫び、相手の反応も確認せずに門から走り出してしまった。
 残されたのは里奈と女性。
 大丈夫か? 何か酷い事はされなかったかと気遣う相手に小さく頷き、里奈は、聡が走り去ってしまった門の向こうを見つめた。
 これでいいんだ。
 胸元で右手を握り締める。
 私、もう負けない。美鶴になんて、絶対に負けない。





 田代に、言い返されるなんて。
 聡は両手を組んで、後頭部に当てる。
 言い返されるなんて、思ってもみなかった。
 いつもみたいにベソでもかくのだろうと思っていた。ごめんなさいを連発して、ポロポロ涙でも零すのだろうと思っていた。これに懲りて、もう二度と俺や美鶴には近づかなくなるだろうと思っていた。
 本当に、頭でもおかしくなったんじゃないのか? 俺に言い返してくるなんて。
 俺の事を、好きだなんて、言うなんて。
 ぼんやりと考え込む聡に、瑠駆真が顎をあげる。
「心、ここにあらず、だな」
「ん?」
「さっきから、何回呼んでると思ってる?」
「あ?」
 呆けたような声と共に腕を下ろす聡。
「呼んでたか?」
「呼んでいた」
「悪い、嫌いな奴の声って、よく聞き取れねぇんだ」
「あっそ」
 嫌味もサラリと流し、右手で頬杖を付く。
「だったら、君には相談はしないよ」
「相談?」
「あぁ、別に協力してくれだとか手を組もうとだなんて事は考えてはいないから、相談と言うほどの事でもないんだけれど」
「な、なんだよ」
 意味あり気に笑う口元。不安が沸く。
「なんの事だ?」
「別に。ただ、もうすぐホワイトデーだが、君は美鶴へ何かを贈るのか? と聞きたかっただけ」
「ホワイトデー?」
 そう言えば、巷ではそのようなイベントが盛り上がっている。







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